JR三宮駅、神戸三ノ宮駅には第二次大戦中のアメリカ軍の戦闘機による機銃掃射の痕が今でも残っている。2018年の冬頃、防音ネットが被されてしまったのでいよいよ見れなくなるのかと思っていた。しかし先日通りかかった際に確認すると、新しい塗装が施されつつしっかりと銃弾痕が確認できたので記念に撮影してきた。
米軍機の銃撃痕
銃撃痕はJR中央改札から西口に向かう高架の歩道橋から見ることができる。 歩道橋に並行して掛かる「加納町第1架道橋」がそれだ。 この写真は丁度橋の中央部付近で撮影したもの。20mほどの橋なのだが、その間におよそ20~30の銃弾が貫通した痕が確認できる。フランジの形から察するに、駅の南側(神戸の言い方では山側)から撃ち抜かれたものらしい。
こちらは中央改札寄りの位置の弾痕。一枚目の写真と同じく山側からの機銃掃射であるものの、やや西から斜めに撃ち抜かれたような痕に見える。5mmもあろうかという鉄板を、いとも簡単に撃ち抜く機銃掃射の威力は恐ろしいものだと感じた。こんなもので人間が撃たれていたと思うとゾッとする。直撃したらバラバラに弾け飛ぶんじゃなかろうか・・・
歩道橋から中央改札に向かう階段の手前には高架橋の名前と塗装を施した業者や作業完了日の記録が残されている。作業が完了してからまだ一年程度であるため、塗装はピカピカだ。
阪急・神戸三ノ宮駅に残る焼夷弾と火災の痕跡
阪急・神戸三ノ宮駅の駅舎にも戦争の爪痕は残る。一見何の変哲もない柱だが・・・
正面に回ってみるとグニャリと曲がってしまっている。焼夷弾により発生した火災の熱で歪んでしまったらしい。
分かりやすいように、曲がっていない柱と並べてみた。柱一本分近くズレてしまっている。よくもまあここまで歪んでいるのに使い続けているものだ。
使用された機銃と銃弾
ちょいと調べてみた。使用された機銃はブローニングM2重機関銃と思われる。当時の米軍の戦闘機にはこんな代物が6門も取り付けられていたらしい。
使用された弾丸は12.7×99mmNATO弾。射程内であれば厚さ25mmの装甲まで貫通できるらしい。おっかない。
思うこと
このように、神戸の街には戦争の傷跡が生々しく残る。これらをなぜそのままにしているのか。「修復するのにはお金がかかるから」という金銭面の理由もあると思う。神戸市の考えなど正確な理由は分からないが個人的には、戦争を知らない世代に対して「戦争はこんな恐ろしいものだったのだ」と訴えかけるメッセージなのだと感じた。
戦争に限らず、阪神淡路大震災や東日本大震災などの大災害の爪痕は積極的に残す場合がある。奇跡の一本松などがいい例だ。特にここで紹介した傷痕について、現地に解説するパネルが展示されているようなことはないが、残っている以上、そこには意味があると思う。
最近はお隣さんの国と仲がよろしくないようだが、二度と鉛の塊が街中を飛び交うようなことがないことを祈る。