2019年9月15日夕方。三線が弾きたくなったので海に行った。普段はカラオケや人気のない公園で弾いていたが、そろそろ涼しくなってきたし、夕暮れの海岸で弾いたら気持ちよさそうだなって思った。あとauの浦島さんごっこがしたかった。
17時半ころ須磨駅に着いた。須磨駅は海側に出ると砂浜が一望できる。どのあたりに陣取ろうかなぁとぼんやり浜を眺めていると「それはバイオリンですか?」と、ネクタイを締めたスーツのおじいさんに話しかけられた。おじいさんと言っても、背筋は伸びているし話し方もハキハキしている。定年間際のベテラン営業マンって感じだった。
おじいさんは微かに微笑みながら「これから音楽のイベントでもあるのかなーと思って」と続けた。
「これは三線です。沖縄の民謡楽器です。」と答えると、なんだか不思議そうな顔をして「それはどんな楽器でしょうか?」と質問するので、少し三線の説明をした。それから5分ほど他愛無い世間話をした。
話がひと段落したとき、おじいさんがやけに小奇麗な格好をしているのが気になったので「ところで、あなたは駅の方ですか?」と聞いてみた。駅の方、というのは特に深い意味はない。スラックスと真っ白いワイシャツ、ビシッと締めたネクタイがそのように見えただけだ。
おじいさんは思い出したかのように「あ!私はこういうもので・・・」と言って、名刺を出すのかと思ったらスマホの画面を見せられた。
そこには「エホバの証人」と表示されていた。『jw.org』
『ウゲ、宗教勧誘か』と一瞬思ったが、ちょっと考えてみると私にとってもちょどよい機会であることに気づいた。
ちょうどよい機会、というのは別にエホバの証人に入会したいわけでも、キリスト教徒になりたいわけでもない。ただ、前々からこのおじいさんのようにキリスト教を信仰していて、それを広めよう、聖書を多くの人に読んでもらおうと考えている人に質問したいことがあった。
エホバの証人とは、時々駅前などでパンフレットを配っていたり訪問勧誘している新興宗教団体の一つだ。調べてみると1870年代には既に存在していたらしい。新興宗教といっても、だいぶ歴史のある団体のようだ。
それからしばらくは、聖書に綴ってある神のありがたいお言葉を熱心に解説された。紀元前の古代イスラエル人の歴史から始まり、黙っていればいつまでも続きそうだったので、思い切って質問してみた。
「私は確かに聖書を読んでみたいと思っています。でも、それはあなた方が期待する動機とはだいぶ異なるものです。私は、神は存在しないという考えを持っています。そして、その結論にある程度の確信すら持っています。仕事も技術職で、科学を信じています。でも、だからこそ、私とは真逆の立場の人たちが、いったい何をそこまで熱心に読み込む魅力があるのか。いったい何が世界中で22億人もの人を引き付けるのかが分かりません。だからこそ読んでみて、自分なりの結論を出してみたと思っています。このような動機で聖書を手に取ろうとする人に対し、あなた方はどのように思うのですか?また、あなた方はそれを快く受け入れるのですか?」
おじいさんは私が質問している間、割りこむようなことはせず、うんうん、と真剣に耳を傾けてくれた。そして、おじいさんが発した最初の言葉は少し意外なものだった。
「まずこのご時世、神は信じないって人は多いと思います。むしろそれが普通だと思っています。聖書には、自分にとって何が幸せで、何のために生きているのかを考える機会を与えてくれる、素晴らしい言葉がたくさん詰まっています。それらの神が人間に与えてくれた言葉の意味を考えることこそに意味があるのです。」
解釈の仕方に絶対的な答えはないらしい。『これが正しい!』と、考え方を押し付けるものではないようだ。あくまで、どのように生きるのが最善なのかは人それぞれ。考えるきっかけを提供してくれるから読んでみて。くらいの軽い勧誘だった。宗教団体・個人によって考え方は様々なんだろうが、「聖書を開くこと」そのものに何か一定の覚悟を強いる人はそれほどいないのかもしれない。
それから、おじいさんはまた当宗教団体(エホバの証人)についての説明をしたあと、「話せてよかったです。是非読んでみて下さい」と言い、去って行った。
子供の頃、一人で留守番をしているときに勧誘に来た人たちはもう少し押しつけがましい態度だった記憶があるので、あのおじいさんの言っていたような「聖書に綴られた言葉をきっかけに、自分の幸せについて考えてみてほしい」という主張は新鮮だった。気が向いた時に読んでみてもいいかなと思った。
※繰り返すが、私はエホバの証人に入会したいわけでも、キリスト教徒になりたいわけでもない。 ただ、「神はいない」と考えている立場として、聖書の何が多くの人を引き付けているのかが気になるだけだ。
そのあとは浜に座って沈む夕日を眺めながら、小一時間ほど三線を弾いて帰ってきた。日中はまだまだ暑いが、日が落ちると心地よい気温になった。この日は波も穏やかで、空色とオレンジ色のグラデーションがとてもきれいだった。だんだんと暗くなる瀬戸内海を眺めていたら、夏休みが終わる喪失感にも似た、哀愁を感じた。
今年の夏も終わりかー。また寒くなる前に夕暮れ時に弾きに来よう。