GWも終盤ということで、陸羽東線沿線の中山平温泉に一泊してきました。いったん小牛田から普通列車で陸羽東線を乗り通して新庄まで抜け、折り返して中山平温泉へ向かいました。復路は快速湯けむり号に乗車です。
陸羽東線とは
陸羽東線は小牛田ー新庄を結ぶ奥羽山脈の峠越え路線の一つです。起点である小牛田は東北本線の主要駅で、終点の新庄も山形新幹線の終着駅です。また途中の古川駅は東北新幹線にも接続しており、非電化ローカル線でありながら接続駅では様々な種類の車両を見ることができます。使用されている車両はキハ110と、2両一組が基本編成のキハ111,112です。
ちなみに今回の旅のお供は、仙台駅で購入した「こぼれイクラととろサーモンハラス焼き弁当」です。はらこ飯の上位互換のような一品でした。それなりに値はしましたが、かなりおススメです。
銀色のヤツとの相性もバツグンでした。
古川駅
小牛田を出て三つ目の駅、古川駅です。東北新幹線が接続しています。
陸羽東線のホームから見た新幹線駅です。やはり新幹線駅駅は大きくて立派ですね。東北新幹線は開通して40周年となりますが、まだまだ新しく見えます。今回はこの駅で15分ほど停車時間がありました。
境田駅付近の分水嶺
境田駅は宮城県側から県境を越え、山形県最初の駅です。陸羽東線最高峰の駅でもあります。
境田駅付近には分水嶺(ぶんすいれい)があります。分水嶺とは水系が分岐する地点を指す地理用語で、これより山形県側の川は日本海側へ注ぎ、宮城県側の川は太平洋側に注ぎます。東北地方を東西に隔てる奥羽山脈の峰であることが分かります。
新庄駅
小牛田駅を出て2時間強。新庄に到着です。新庄駅は陸羽東線・陸羽西線・山形新幹線・奥羽本線と、様々な路線の接続するハブ駅です。そのためこの駅では様々なタイプの車両を見ることができます。
バリエーション豊かな車両たち
山形新幹線のE3系つばさです。車体は小型ながら、軌間は標準軌というミニ新幹線ならではの特徴です。また、新庄駅南側は山形新幹線が通過できるように改軌された奥羽本線(福島-新庄間)と陸羽東線が並走・交差しており、異なる軌間の線路が混在する珍しい駅です。
701系5000番台です。東北本線で見かける701系と同様に仙台色ですが、5000番台は軌間が1435mmの標準軌仕様で、奥羽本線(福島-新庄間)専用機です。そのため東北本線に入ることができません。よく見ると、顔の緑帯の場所に尾灯(テールライト)がない点も0番台と異なる点です。
701系0番台の秋田色です。形は仙台圏でも見慣れたものですが、カラーリングは初見でした。
奥羽本線 軌間の境界点
福島-新庄間の奥羽本線も、かつては狭軌のJR路線でした。フル規格の新幹線を作るほどの需要はないものの、山形方面の交通の便の改善する方法として、奥羽本線の一部路線を改軌(狭軌から標準軌に改造する工事)することで、東京ー新庄間を乗り継ぎなしにアクセスすることができるようになりました。
新庄までは標準軌に改軌されたものの、奥羽本線はまだ続きます。新庄-大曲までは従来通り狭軌の線路となっているので、新庄駅構内には標準軌と狭軌の車止めが向かい合っている様子を見ることができ、かつてこれらの線路が繋がっていたことが窺えます。
快速湯けむり号
新橋駅~横浜駅間に鉄道が開業してから150年を迎えることを記念して、南東北観光列車の一つとして企画されました。車両はキハ111,112のラッピング車で、シートは全席クロスシート。アナウンスや車内販売もあるなど、立派な観光列車です。ラッピングのデザインは日本で初めて営業運転された客車を模しています。
編成の両側でヘッドマークはそれぞれ異なっていました。
乗車中には硬券風の乗車記念証が配られました。こういった細かいサービスがマニア的には嬉しいです。
中山平温泉駅
せっかくの湯けむり号ですが、今回の乗車はここまで。車で訪れた家族と合流して一泊します。
中山平温泉駅は古川駅管理の無人駅です。新庄を出発し、4つ目の停車駅になります。泉質はとろとろのアルカリ性で、しっかり浸かると短時間でも身体の芯まで温まりました。
令和には珍しく、電話ボックスも配置されていました。
留置線でしょうか。奥には古い貨物ホーム跡が残っています。中山平温泉駅の貨物扱いは昭和46年に廃止となりました。
貨物ホームを振り返ったところが今回のお宿、三之亟湯(さんのじょうゆ)です。駅に向けられた赤い看板が、列車で到着した際の車窓から目立って見えました。
宿は線路に隣接しているため、部屋によっては窓の外から直接駅を撮影することができます。残念ながら今回のお部屋は線路側ではなかったので、同じフロアのトイレから撮影してみました。
C58 356号機
中山平温泉駅にはC58形蒸気機関車が静態保存されています。この356号機は1944年に落成し、大阪、王寺、宮古、盛岡、八戸と渡り歩き、1972年に小牛田運輸区へやってきました。
静態保存と言っても屋根のない雨ざらしのため、状態は非常に悪く車体はボロボロです。
残念ながら、これを撮影した直後(2022年GW)に解体される予定です。最初で最後の邂逅となってしまいました。