3年くらい前に作ったものです。写真を撮りためていたので、当時の気分で書きたいと思います。
オハ31系客車とは
昔も昔、ずーと昔のお話。
1926年、広島県安芸中野駅近辺で走行中の列車が土砂崩れに巻き込まれ、30人以上が死亡する大事故が発生した。 この事故の被害が拡大した要因の一つが、この客車の構造上の脆さだったと言われている。
それまで客車は木で作られていた。いわゆる、木製客車だ。大量の土砂が降ってきたら、たちまちぺしゃんこになってもおかしくない。
この事態を重く視たのか、鉄道省(国鉄の前身となる組織)は初となる鋼製の客車オハ31系客車を設計した。光を取りこむための二段の屋根(ダブルルーフ屋根という)が一番の特徴であり、リベットが無数に並んだボディが重厚感を醸し出している。小さな窓が沢山並んでいるのは、当時の技術ではまだ大きな板ガラスを作れなかったからだそうだ。
中にはだるまストーブを設置している車両もあったらしい。冬場はストーブの最寄りの席の取り合いになっていたことだろう。
KATOはかなり昔にこの客車を製品化している。が、古い製品だけあって、造形の方法が現在の製品とはまるで異なり、屋根が単体で外れるタイプだ。しかも、あまり分解することを前提にしている感じではなく、半ば無理やりこじ開けないと外れない。一度外せたらツメを少し削り、アクセスしやすいように加工しておこう。
集電台車化
古い製品なのでもちろん集電機能など付いていない。今回はスプリングばねを使わない方法で集電台車化してみる。
まずT1の同板を細くカットし、T字に接続する。んでΦ1mmのピンバイスで車輪を通す穴をあける。この穴間隔が非常にシビアで、少しでもずれると車輪がスムーズに回らず、走行抵抗が大きくなる。集電台車化の作業でキモになるステップだ。
車輪の軸受け部分は銅板と接触して電力を集めるため、あらかじめ紙やすりで少し削っておくと良好な導通が得られる。車輪の踏面(とうめん:線路に接触する面)も同様に磨いておくとよさそう。
車体側への給電部分
はじめは写真のような薄いステンレス版を板ばねにしようと考えていた。が、ステンレスはそもそもあまり電気を通さないため適していないことが後から分かった。ステンレスは表面に薄い酸化膜を形成することで、それ以上の腐食(サビ)を発生させないという性質を持っている。すなわち表面を錆びさせることでこれ以上サビさせないという、何とも矛盾したネーミングなのだ。
それはさておき、酸化膜があると電気抵抗が大きくなるため電気を伝える部材としては向いていなさそうだ。実際にこれを使って走行させてみたが、ほとんどLEDを点灯させることはできなかった。
結局銅板を板ばねとして使うことにした。ちょっと厚めのものしかなかったが、なんとか使えそうだ。
板ばねから屋根への給電部分
車体側の加工はこんな感じ。細くカットした銅板をコの字に曲げて、さきほどの板ばねに接触させる。更に屋根にスプリングを取り付けてこのテンションでコの字に接触させる。線路から車輪→軸受→板ばね→コの字→スプリングと伝って、ようやく屋根にたどり着く。電源電圧も12Vと高く、電流も大きくないからこんなガサツな構造でも大丈夫。
完成☆
早速レールに12Vをかけてみる。と・・・ぴか☆
ダブルルーフの小窓をデザインナイフでくりぬいて、内側から薄いプラ板を張ってみた。そこから漏れる光がまたなんとも良い。めちゃめちゃテンション上がった。
(台車の集電金具がちょっと目立つな・・・)
電気を消してみるとこんな感じ。Nゲージに室内灯を仕込む醍醐味はここにある。
でも、時代背景的にこの頃の照明は間違いなく白熱球である。ので手軽に電球色にできないかと思い、茶色のマッキーでLEDをちょんちょんしてみた。
すると、ラブホの照明みたいにな色になったので、素直に電球色のテープLEDを買うことにする。
急行編成の作製へ
なんとか1両目に室内灯を仕込むことができた。集電台車化が思った以上にたいへん。でも楽しい。一両でもこれだけ興奮するのだから、長い編成となって走っている姿を夢見てしまう。
今後についてだが、これを7~8両作り急行列車を作ってみたいと思う。牽引車はD50とかD51あたりで。(4両くらいまでならC11,C12が似合いそう)
オハ31が3両くらい、オロ30(二等車)が2両、あと食堂車や展望車なんてあったら楽しい。あと6両作るのは大変だけれど、マイペースにやっていこうと思います。
つづく。