【肥薩線めぐり】大隅横川駅~機銃掃射の弾痕が残る駅~

【肥薩線めぐり】大隅横川駅~機銃掃射の弾痕が残る駅~

大隅横川駅とは

嘉例川駅と並び、鹿児島県最古の駅です。明治期の建築様式を伝える貴重な建築物として、登録有形文化財になりました。駅舎の柱には二次大戦中の機銃掃射により、銃弾が貫通した柱がそのまま残されています。

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大隅横川駅の歴史

1903年(明治36年)1月15日 開業
横川駅として開設されました。

1920年(大正9年)9月1日 大隅横川駅に変更

1945年(昭和20年)7月30日 空襲により被災
空襲により周辺一帯が焼け野原になりました。ホームの柱の弾痕はこのときできたと考えられています。数十機の戦闘機が肥薩線沿線を狙いました。

1971年(昭和46年)2月1日 貨物営業廃止

1986年(昭和62年)4月1日 無人化
肥薩線全線で電子閉塞を導入し、無人化されました。それまで駅員さんが信号とポイントを操作していましたが、これらが自動化されたため、駅員さんの常駐は廃止されました。

駅舎に設置されているベンチは開業当初から使われているものだそうです。
2番線が撤去され、現在は2面2線式のホームになっています。

駅舎に残る銃弾痕ができたとき

空襲時の様子

終戦二週間前の昭和20年7月30日。県内各地で空襲が激しくなる中、大隅横川駅も狙われました。当時、駅から1kmほどの場所に機関車整備工場が建設されており、その完成を待って数十機のグラマン機が整備工場と駅を狙いました。激しい機銃掃射の後の駅舎の屋根はハチの巣と化し、夏空がはっきり見えたそうです。

このような山奥の地域でも攻撃の対象になったのは、当時のインフラを支える機関車整備工場が建設されていたためと考えられます。

柱に残る銃弾痕

駅舎の柱には、ぽっかりと二つの穴が空いてます。弾丸は屋根から壁、柱を貫通しました。壁の穴は現在では確認できませんでした。

攻撃に使われた戦闘機と機銃

時代と柱に残る穴の大きさから考えて、攻撃に使用された戦闘機はグラマンF6Fヘルキャットと考えられます。機銃は米軍標準のブローニング12.7mm重機関銃でしょう。弾頭は12.7x99mm。グラマンF6Fヘルキャットは、この機関銃を6挺装備していました。

グラマンF6F-3ヘルキャット Wikipediaより
ブローニングM2機関銃 Wikipediaより
12.7x99mmNATO弾

参考文献

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