大畑駅とは

人吉~吉松間は天下の難所であり、明治政府が威信をかけて行った難工事でした。大畑駅(おこばえき)は、肥薩線の中でも特に険しい区間にある駅です。ループ線の途中に二つのスイッチバックを持ち、その中に駅が配置されている、極めて珍しい構造を持った駅として有名です。また、大畑駅を訪れた人々が自身の名刺を駅舎内に張っていったことで、無数の名刺が壁を埋め尽くしていることでも有名です。

2020年3月現在、1日4本の観光列車「いさぶろう・しんぺい号」と、2本の普通列車が停車します。

大畑駅の歴史

人吉方面から上ってくる蒸気機関車は、1トンもの石炭と毎分250リットルの水を消費して大畑駅にやってきました。機関車はこの大畑駅で給水を受け、通称「矢岳越え」と呼ばれる険しい区間へ入っていきます。

その時に使用されていた石積みの給水塔跡が駅駅舎横に残されており、現在は旧保線作業員詰所を改装して作られた秘境フレンチレストラン「Loop」の物置として利用されています。

1909年(明治42年)12月26日 開設
鹿児島本線の所属として開設されました。

1927年(昭和2年)10月17日 肥薩線所属に変更
川内本線全通に伴い、肥薩線所属に変更されました。

1945年(昭和20年)8月22日 肥薩線列車退行事故
吉松-真幸間の山神第二トンネル内で上り勾配通過中の列車が停止し、トンネル内に充満した煤煙から逃れようと乗客(多くは復員軍人)は列車を飛び出しトンネル入り口側に逃げました。直後に機関車はブレーキを緩めてしまい、線路上の逃げ惑う乗客を次々に轢いてしまう悲惨な事故が発生しました。この時と犠牲者は53人に上ります。大畑駅構内にはこの事故で亡くなった方々の慰霊碑が建てられ、列車をけん引していた機関車(D51)の動輪が近くに保存されています。

1986年(昭和61年)11月1日 無人化
電子閉塞装置の導入で無人化されました。

2007年(平成19年)11月30日 無人化

2018年(平成30年)9月8日 レストラン「loop」開業
旧保線詰所跡を改装し、フレンチレストラン「囲炉裏キュイジーヌLOOP(ループ)」が開業しました。レストラン入口には人吉駅で100年間使われた跨線橋の解体部材を再利用して作られたモニュメントが設置されています。

●2020年3月(令和2年)4月 レストラン「Loop」一時休業
コロナウイルスの感染拡大予防のため、自主的にレストランの営業を一時休業しました。3月11日より店内の営業を休止し、お弁当のテイクアウト営業のみとなりました。その後、4月より熊本県から外出自粛要請が発表されたことを受け、全面的に営業を停止しました。3月11日~3月31日の二十日間の間だけ提供されたお弁当については下記記事で紹介しています。

Wスイッチバックと大ループ

大畑駅周辺は過酷な峠越え路線です。仮に大畑駅-矢岳駅間を直線で繋ごうとすると、とても鉄道車両が上り下りできない急勾配となってしまいます。そこで、急勾配を緩和するためスイッチバックループ線といった構造が作られます。大畑駅前後の区間はこれらの構造を組み合わせないと超えられないほど、険しい山登り路線なのです。

スイッチバックから大ループ線のはじまり側を見た様子
スイッチバッグ側の様子。この先で左手の大畑駅側の線路と合流する。

そこまでするのならば、「トンネルを掘って山登りを回避すればよいのでは?」と思いかもしれませんが、建設時の明治末期。当時は長大なトンネルを掘る技術がなく、短いトンネルやスイッチバック・ループ線を組み合わせて山を越えるしかありませんでした。

スイッチバックやループ線が残されている路線自体は、全国で他にも何か所もあります。大畑駅が貴重と言われる理由は、ループ線の中に二つのスイッチバックが組み込まれている複合構造の駅であるという点です。

上り・下りの列車はどちらも駅の西側から入線してきて、出発する際も西へ発車します。

当時は、非力な蒸気機関車をなんとか峠越えさせるために様々な工夫を凝らし、今のような複雑な構造の駅となりました。

元来、大畑駅は乗客を乗降させる目的の駅ではなく、往来する列車の休憩と補給を担う駅でした。

無数の「名刺」が貼られた駅舎

駅舎の中には数え切れないほどの名刺が貼られています。有名な理由の一つが、この駅に名刺を張っていくと出世するという噂があるのだそうです。貼られている名刺をじっくり見ていくと、名刺を分厚いクリアファイルに挟み込み、太いビスで高い場所に四点止めしているような猛者もいます。(絶対に剥がれ落とさせないという強い意思を感じました・・・)

私が調べたところでは、名刺を貼る習慣は2000年時点ではまだなく、比較的最近になって流行り出したもののようです。2020年3月現在では名刺は駅舎内から溢れ、駅の外壁にまで張り付けられている様子が見受けられます。

石積みの給水塔跡

当時の給水塔は、高さの差を利用して(重力で)機関車に水を流し込みます。そのため、給水塔のタンク本体は機関車よりも高い位置にある必要があります。「給水塔跡」と聞くと石積みの内部に水が溜められていた様を想像してしまいますが、実際は石積みの上に金属性やコンクリート製のタンクが設置されており、そこに水を溜めていました。石積みはタンクを高い位置に保つための脚だったのです。現在では、タンク本体は失われています。

大畑駅の給水塔跡は現在でも倉庫として利用されており、近くでまじまじと見ることができます。お隣の矢岳駅にも同様の構造の給水塔跡が残されていますが、こちらは藪の中にあり、季節によっては近づくのに少々骨が折れるかもしれません。

SL運転士や乗客が顔を洗った湧水盆

大畑駅にたどり着いた列車は、いくつものトンネルを抜けてやってきます。トンネルの中では蒸気機関車が吐いた煤煙で乗客・乗務員もろとも顔が真っ黒になったそうです。駅に到着した乗客・乗務員はここで手や顔を洗いました。SL時代から使われているこの湧水盆、なんと現在でも水が出ます。(お隣の矢岳駅にも同様の湧水盆がありますが、こちらは壊れてしまっています)

信号機

ループ線の閉塞区間を区切る信号機

見た目はごく普通の信号機ですが、街中ではあまり見ることのできない特殊な装置が組み込まれています。近く(と言っても10m以上離れていましたが・・・)で観察しようとしたところ、鳥の鳴き声(悲鳴?)のような警報音が鳴り響きました。その場を離れると、数十秒で鳴り止みました。見たところ、赤外線を利用した人感センサに近い装置のようでした。大畑駅は昔から信号所として重要な機能を果たしており、スイッチバック用のポイントは列車の通行に関わる重要な装置です。近接センサと警報器は野生動物や観光客が接近し、誤って故障させてしまうことの対策と考えられます。

フレンチレストラン「囲炉裏キュイジーヌLoop(ループ)」

大畑駅開業109周年にあたる2018年(平成30年)9月8日、かつて保線員詰所として使われていた建物を改装し、フレンチレストランが開業しました。人吉球磨産の旬の食材を使ったフレンチコースを楽しむことができます。

旧保線員詰所を改装したレストランの入口
ホーム側の様子。前面ガラス張りで、発着する列車の様子を眺めることができる。

一万円の駅弁!?二十日間だけ提供された幻のヒレステーキ弁当

コロナウイルスの感染拡大を受けて3月11日より店内の営業を休止しましたが、代わりにテイクアウト限定で、超高級駅弁が提供されました。ラインナップは五千円・一万円・二万円の三種類。五千円・一万円は九州黒毛和牛和牛の極厚ヒレステーキ肉を使ったサンドイッチ。二万円の駅弁はステーキ600g。地元の野菜を使ったサラダも添えられ、とてもボリューミーな内容です。イベント自粛が続く中、豪華な駅弁を楽しんで、コロナウイルスで沈む気分を跳ね返して欲しいという思いで作ったそうです。

左が二万円、右上が一万円、右下が五千円の駅弁。(熊本日日新聞より引用)

しかし、一部都道府県に緊急事態宣言が発令されたこと、全国でのコロナウイルス感染が拡大していることを受け、3月31日より休業となってしまいました。

今のところ二十日間だけ提供された駅弁ですが、筆者は運よくこの貴重な駅弁を食べることができました。電話で問い合わせたところ、「二万円の駅弁は6~8人前を想定しており、一人や二人で食べるのは大変だと思う」と言われました。せっかくなので二万円の駅弁も食べてみたい気持ちもありましたが、筆者は二人で大畑駅を訪れたため、五千円と一万円の駅弁を一つずつ注文することにしました。

こちらが実際に注文した駅弁です。五千円の弁当はサンドウィッチが二つ、一万円のサンドウィッチが三つ入っています。バーニャカウダとデザートは基本的に同じもののようです。

奥が五千円の駅弁,手前が一万円の駅弁

厚さ1.5cmほどのステーキは驚くほどに柔らかく、パンごと手でちぎれるほどでした。

バーニャカウダの野菜はどれもシャキシャキ、ソースは最後の一滴まで舐めたくなる味でした。
外装

割りばし・お手拭き、紙ナプキンまで黒で統一されており、こだわりを感じました。(黒いお手拭きは初めて見ました・・・)

五千円と一万円の駅弁の比較

跨線橋モニュメント

フレンチレストラン「Loop」の入口には、人吉駅で100年間使われた跨線橋(こせんきょう)の解体部材で作られたモニュメントが設置されています。跨線橋の上屋には、かつて国内随一の製鉄所であった八幡製鉄所で製造されたレールが使われました。

また、かつて大畑駅で使われていたダルマ型進路転換転てつ機(ポイントのスイッチ)も、モニュメント入口脇に組み込まれています。

慰霊碑とデゴイチの動輪

ループ線の信号機付近には慰霊碑とデゴイチの動輪が設置されています。この慰霊碑は二つの意味で、追悼の意が込められています。一つ目は、大畑駅とその近辺のトンネル工事の際亡くなられた方々への追悼の意。二つ目は、「肥薩線列車退行事故」で亡くなられた復員軍人の方々への追悼の意です。慰霊碑には「鉄道工事中・殉難病没者追悼記念碑」と刻まれています。

デゴイチの動輪(左)と慰霊碑(右)

難工事を極めた大畑駅造成工事

大畑駅は険しい山中に忽然と現れる鉄道の中継基地です。駅構内にはスイッチバック用の退避線がありますが、坂道発進の苦手な蒸気機関車のために、これらは平地である必要がありました。

どうにかこうにか平地を作って機関車を山越えさせるため、山を切り開く土砂の量は膨大で、難工事を極めました。この工事で13人もの作業員の方々が亡くなられました。

肥薩線列車退行事故 -故郷を目の前に、帰郷を果たせなかった復員軍の方々-

終戦直後の昭和20年8月22日。多くの復員(引き上げ)軍人を乗せた客車列車はD51のプッシュプル(編成の前後から機関車が挟む方式)で人吉、方面に向かって山神第二トンネルに進入しました。進行方向は上り勾配で、運悪く列車は上り切れずにトンネル内で立往生してしまいました。

「鉄道工事中・殉難病没者追悼記念碑」と刻まれている。
「間組(はざまぐみ)」はかつて存在したゼネコンで、山神第二トンネルを施工した業者。

東側の車止めと留置線

大畑駅では、列車は西側から入線し、西側へ出線します。反対の東側は行き止まりになっているのですが、北側の留置線は二番線と東側のポイントで繋がっています。つまり、留置線に車両を留置しておく際は一度東側の車止め側に車両を引っ張り、折り返して留置線に入線します。この動作も一応スイッチバックと呼ぶかもしれません。

東側ホーム端から車止め側を見た様子。右が一番線、左が二番線。
二番線と留置線の分岐ポイントが見える。

設備は古いですが、切り替え検出用のセンサ?は真新しいものを使っていました。レールも錆びているものの、最近車両が通過した跡が確認できました。

二番線と留置線のポイント。

衛星写真で見ると、レール運搬用と思われる貨車が留置してありました。筆者が訪れたタイミングでは留置されていませんでしたが、保線用の車両の留置に使われているようです。

大畑駅の衛星写真。google mapより引用。

東側の最も奥にある車止めです。路盤は落ち葉に覆われ、線路は埋まりつつあります。これでも左側の2番線は使用されているのが驚きです。

宮地獄神社

大畑駅に車で訪れると、道路の奥に鳥居が見えます。その先には宮地獄(みやじだけ)神社があり、アニメ「夏目友人帳」の聖地巡礼で訪れる人も少なくないのだとか。大畑駅はループ線であることから、宮地獄神社は縁結びの神社でもあるそうです。

神社の裏からは人吉球磨盆地(の一部)の絶景が広がっています。ベンチも設置されていました。

その他の写真

参考文献