矢岳駅とは

矢岳(やたけ)駅は、肥薩線の中で最も標高の高い場所に位置する駅です。(標高536.9メートル)駅名は、矢岳山を貫く「矢岳第一トンネル」の名前から取られました。現在は観光列車「いさぶろう・しんぺい号」の停車駅として、毎日多くの鉄道ファンが訪れる駅です。

かつて肥薩線を走った重装備のデゴイチ(D51 170号機)が展示されてる「SL展示館」が併設されています。

いさぶろう・しんぺい号が停車する矢岳駅

矢岳駅の歴史

1909年(明治42年)11月21日 開設

鹿児島本線所属として開設されました。

1927年(昭和2年)10月17日 肥薩線所属に変更

川内本線全通に伴い、肥薩線所属に変更されました。

1972年(昭和47年) SL展示館開設

4月4日に最後の蒸気機関車が肥薩線を走り、間もなく矢岳駅構内に「SL展示館」が開設されました。

SL展示館

かつて肥薩線を幾度となく走り抜けたデゴイチをじっくり見学することができます。以前はハチロク(8620型蒸気機関車)も静態保存されていました。展示館の中には地元で取れた野菜や干物が販売されていることもあります。

D51170

燃焼装置を装備したデゴイチです。通常の蒸気機関車は石炭を燃やし、その熱で発生させた水蒸気の圧力で走ります。170号機は石炭に加え、重油を燃やすことで発熱量を増やしたパワフルなSLです。様々なバリエーションがあるデゴイチですが、これほど重装備なデゴイチは170号機くらいのものです。

元機関士らによって大切に守られ、かつて走った肥薩線を静かに見守る余生を送っています。

重工な足回り

58654

2020年現在、SL展示館にはD51 170号機のみが展示されていますが、かつてここには8620型蒸気機関車も保存されていました。1975年に引退した58654は、13年後の1988年に「SLあそBOY」として復活。阿蘇の豊肥本線を駆け抜けました。しかし、豊肥本線の急な勾配による負荷の蓄積により、軸受に亀裂が入り、2005年に二度目の引退となります。

再び静態保存となった58654ですが、JR九州は動態保存の可能性を模索し続け、車籍の抹消は行いませんでした。

その後の調査で奇跡的にも製造時の設計図が残されていたことが判明し、小倉工場にて修復に着手します。新造台車の製造・58654への換装を行う大手術を経て、2009年、58654が再び営業路線上に姿を現しました。

白石駅に停車する「SL人吉」

現在、58654が居た場所には一つの動輪のみ展示してあります。ハチロクに使われていたものかは定かではありません。

かつての駅構造

現在は一面一線式のホームですが、最盛期(昭和30年代)は駅舎の一面に加え島式ホームもあり、二面三線式ホームでした。島式ホームは2000年ころまで残されていました。1番線の手前にある、広いスペースに島式ホームがあったものと思われます。

ちなみに、矢岳駅にも大畑駅と同様に機関士や乗客が顔を洗う湧水盆が設置してあります。こちらはもう水は出ないようです。

給水塔跡

大畑駅と同様の構造の石積み給水塔跡が残されています。ホームから見ると、線路を超えた奥の藪の中にひっそりと佇んでいます。駅構内は定期的に除草もされているようで、私が訪れた際はきれいな芝生となっていました。

貨物用ホーム跡

島式ホームや2番線・3番線は撤去されてしまいましたが、貨物用ホームの一部が現存しています。ホームの形状からして、貨物用の線路は2本あったようです。1番線側の線路は撤去されています。

駅の開業当初は木材や木炭の搬出で栄え、多くの運送業者・木材業者が集まりました。大正中期には駅弁が売られるほどに賑わったそうです。今でこそ人気のない駅ではありますが、かつては活気に満ち溢れ、このホームにも黒貨車が並んでいたと思うと感慨深いですね。

貨物線の車止め

貨物用ホームはちゃんと本線から分岐しており、ポイントも現存しています。

もう二度と切り替わることの無いポイントなのでしょう。

貨物ホームのそばに、金属を溶かした跡を発見しました。撤去された側の貨物用線路のものと思われます。

参考文献